えっ!?
人に聞く前に、まずは自分で考えてみろって?
分かりました!!考えてみます!!!
きっかけは?
近年、映画界隈でマルチバースを題材にしている作品が立て続けに公開されています。
日本の公開日基準では、2023年単独で少なくとも4作品を挙げることが出来るでしょう。
流行に火をつけたのは『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(2022)』だと思っていますが、スパイダーマンファンなら当然のように『スパイダーマン:スパイダーバース(2019)』も思い浮かびますよね。
では、マルチバースとは何なのか、何がそこまで観客を惹きつけるのかを考えてみたいと思います。
マルチバースの定義ってどうなってるの?
はじめに言葉の定義を押さえておきましょう。
多元宇宙論(たげんうちゅうろん、英: multiverse)またはマルチバースは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説である。多元宇宙[1]は、理論として可能性のある複数の宇宙の集合である。多元宇宙はすべての存在を含み、そこには、われわれが一貫して経験している歴史的な宇宙に加え、空間、時間、物質、およびエネルギーの全体と、そして、それらを記述する異なる物理法則および物理定数なども含まれる。この語は1895年にアメリカの哲学者で心理学者のウィリアム・ジェームズによって造られたが、異なる文脈においてである[2]。多元宇宙が含むそれぞれの宇宙は、平行宇宙と呼ばれることもある。
「多元宇宙論 - Wikipedia」( 2023年7月13日 (木) 10:09 UTC時点における版) 『ウィキペディア日本語版』
学問的な捉え方としては、上記のようになっているみたいです。
宇宙的な教養が足りていないという点を反省しつつ、娯楽的に活用するという観点で噛み砕きつつ理解しようとすると、
- 多数の宇宙が存在するよ
- それらの宇宙は様々な可能性を含んでいるよ
- 例えば、宇宙Aでは男性である人物が宇宙Bでは女性である可能性とかだよ
- 宇宙と言ってるから規模が大きく感じるけど、地上の営みも当然宇宙に含まれるよ
- だから舞台が宇宙に進出しなくても問題ないから安心してよ
みたいな感じでしょうか。
ただ、学問としてはこれで正しくても、物語としては決定的に足りない要素があると思ってます。
それは、
- 全宇宙で共通して存在するモチーフが必要だよ
ってこと。
例えば、
放射性のクモに噛まれて特殊な能力を手に入れた人物であったり、
クリプトン星から地球へ来た宇宙人であったり、
ハイパーエージェントな電脳超人だったり、
そういう存在が必要なのです。
その前提が無かったら、
『バース:5656のモンキー・D・ルフィとバース:4869の江戸川コナンが実は同一人物』というコラボ以上の意味を見出せないマルチバース作品もあり得るし、
『エイリアンとプレデターがバースを超えて会合』という手段と目的を取り違えていそうな作品もまかり通ってしまいます。
マルチバースの作品って何があるの?
この点に関しては別立てで、色々考えたいことがあるので、ここでは軽く触れておきます。
私の思い出の中で、最古のマルチバース作品は『ザ・ワン(2002)』です。
掘り下げて考えると他にもあるのかも知れませんが、現時点ではジェット・リーが私のマルチバースのに対する起源(オリジン)です。
あとは、特に調査を行わずに思いつく範囲で作品を挙げると、
- ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス
- ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-
- クッキー・クリッカー
あたりは作中設定としてマルチバースだったと思っています。
クッキーババアは『多元宇宙からクッキーを持ってくる』みたいな製造機があった気がしている。。。
公式のマルチバース作品はもう少し調査して、
非公式のマルチバース作品については少しまとめを行って、改めて報告したいと思います。
で、結局マルチバースの魅力って結局なんなのよ?
マルチバース作品を大別すると2つに分けられると思っていますが、最近流行っている方の魅力は、
- 点と点が線で繋がる事により、物語全体を理解できたという擬似体験が快楽を産む
といったところではないでしょうか。
「あ!この問題!!進研ゼミでやったところだ!!!」みたいな感じです。
もう一つは単に多元宇宙というSF要素の真新しさに面白さを見出すってタイプですね。
それぞれ単独の作品として楽しんでいた点同士が、マルチバース作品によって繋がりを持ち線となる。
この楽しみ方を享受するには、必修科目の履修が前提となるので少し敷居が高いです。
ですが、点の作品単体にのめり込むコトが出来ていたのであれば、繋がった時の喜びは2倍3倍と膨らむのではないでしょうか。
先生、こちらからの報告は以上です。